実存主義から読み解くRewrite論

   お疲れ様です、アサカフェです。ニーチェの思想に触れる機会があり、そこでふと気づいたことがあるので雑記を。

 

   ニーチェの思想のキーワードとして、「超人」や「力への意志」など心惹かれるワードが並んでいる。

 

   ニーチェの語る超人は「生の高揚」をとことん実現した人間でRewriteにおける超人と被るところがある。

 

   田中ロミオニーチェの思想に影響を受けたかどうかは与り知らぬが、もしそうであるならば「良い記憶」についての新たな解釈が生まれるのではないだろうか?

 

   ニーチェによると生命の本質は“力への意志”であり、自らを維持するために世界解釈をおこなう。アウロラはこの力への意志を分かりやすく体現するための奇跡なのではないだろうか。

 

   力への意志とは人間を超越しようとする、意志である。Rewriteで言う超人然り魔物使いもまた人間という括りを拡大解釈し超越した者である。

 

   つまり、良い記憶とは人間を超越しようとする意志であるのでは?しかし、Rewriteにおいて超人や魔物使いでは良い記憶を実現できなかった。ここでもう1つの仮説がある。

 

   Rewriteには“神”についての記述が殆どない。(見たことが無い) 意図的に省かれているような印象をもっている。神の代わりに信仰されているのは地球、つまり“ 鍵”なのである。とすると、神=鍵の等式が成り立つ。

 

    ここで考えるのがキルケゴールの実存の3段階だ。第一の美的実存の段階では享楽を目的として挫折し絶望する。これは最初の地球人類の話。第二の倫理的実存の段階では良心に従って生きることで実存を目指すが挫折し絶望する。これは瑚太郎がヒロイン達と恋仲になった共通ルートの話。

 

   最後の宗教的実存は神の前に単独者として向かい合う────

“神=鍵のために単独者として命を燃やした瑚太郎”の最後の地球での物語に符号する。

 

  瑚太郎はここで初めて実存を手に入れる。本来の自己への回帰────瑚太郎の言うどこかの誰かになることができたのだ。